同時の概念から


相対性理論でも すこしかぶるんだけれど、
「 同時 」というのを、どう理解するかは
人となりだよね っていう話です。
たとえば、競技のスタートは
「 同時 」を、審判が見ているわけです。
「 一目 」 で見れない距離間での「 同時 」では、
たとえば飛行機の離陸など、
東京と、ロスで、「 同時 」というと、
今では、時の刻み方が確立されているので、
どちらでも、” 今、飛んだよね ” と、問題ないわけです。
ただ、
それもこれも、地球上での「 同時 」です。
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この、地球上での「 同時 」というのは、
自転1回で一日。一日は24時間。
という
逃れられない、地球固有の法則の中での概念です。
同時は、同じステージで測るものなのですね。
だから、光の速さで飛ぶ乗り物に乗れれば、
地球の時間の進み方を超えて、時間そのものが止まる…
( 時間の進み方は光速に近づくにつれ次第に遅くなる )
帰還したときに、未来に行ける。らしい。
ということは知られています。
※ 未来というのは 地球の時間での将来。
実際、音速はあっても、
光の速さで飛ぶ乗り物は、存在しえないので、
ムリなのですが。
これを考えるたびに、
節操についての結論にたどり着くのですが、
やっぱり、置かれている立場や
本来なにげなく意識していなくて、支えられているものを
超える必要があるのだろうか。
小春日和に桜が咲く程度のことがあっても、
ほとんどのものが
地球上の同時に同期していて、
逆らわないんですよね。
協調性というのは、
ありのままの自分の立ち位置を
認識することから始まるような気がするんですね。